教育学部は必要か
2004年5月15日あぁ〜〜、まじめなタイトル・・(^^;)
毎度恒例アクセス元チェックしましたら・・
「介添え人 切腹」ぐぐって来られた方いらっしゃいまして
ちなみに本日現在、ぐぐのトップに躍り出ておりました・・
そんなもんでまきちのほざきがぐぐのトップに出るかぁ?
まぁいいや。
どこだったかな?就職活動系のBBSに教員採用と一般企業を併願する板がありまして、ぼちぼち覗いておりました。その中で、教員養成系学部以外でも教員免許が取れるのは教員余りの現在不都合であるような旨の発言が有ったのだが・・・私は教員養成系学部に学部生はいらない。 と断言したい。
断っておくが、あくまで学部生だ・・教員養成系学部は必要である。教員用政経学部に所属する学生は院生だけで十分。後は、他学部から教員免許を取得する学生向けの講義を開講すれば宜しい。(小学校養成系は別)
こう言い切る理由の一つは教育学部出身の人は使えないのが多いって事。
いや、無能な人間って意味ではない。肝心の教科に対するスキルが低すぎるのである。
これは教育学部のカリキュラムが、「どう教えるか」という内容に偏っているのが一因である。これはこれで必要なのだが、どう教えるかは、教える内容に対して必要十分な知識、技能、興味を有している事が必要だろう。だが、教育学部ではそれらは保証しない。結果、発音もままならない英語の教員、試験管一本まともに振れない理科の教員。都道府県の所在地さえままならない社会科の教員が数多く出没しているのだ。では、学部時代に叩き込まれた筈の「教え方のスキル」で優位に立っているかというと、そうでもない。私が知る限り、私が感動した授業の先生は教員養成系以外の出身である。そうまでいかなくても、実際には教員養成系以外の出身の先生は教員養成系出身と同等の仕事が出来ている。つまり、教員養成系学部の売りである所の「どう教えるか」という内容は現場ではあんまり意味を果たさない事を証明している。
売るものが無いのにセールストークだけでモノを売るのは不可能でしょう?
そういう事です。
他学部(事に理学部)で成績の悪い学生に対して「教育(学部)に行くかぁ〜〜〜?」と脅しをかける・・
私の在籍した大学もそうでしたが、話を聞くとよその学校も同じ事いわれている所は多いようでして・・ 平たくいえばそれでも(勉強しなくても)単位が取れるって事を意味していますよね・・つまり、それだけ、教科の内容に重きを置いていないということです。
実はもう一つここに教員養成系の弱点がある訳で、・・別の見方をすれば勉強しなくても卒業できる という事を示している訳です。現在、教員免許を取ったからといって、そう簡単に教員になれる訳ではなく、えらい倍率の採用試験をクリアしなくてはいけません。そういう意味では現在、学部の質とは無縁に優秀な教員が採用されていると考えたいのですが(公立の現役教員が言うのも憚られますが)実際、採用選考は公平か?と言われると疑問符を並べまくってしまう状況です。(アンオフィシャルな話ですが・一次試験はどうにもならないが二次試験ゴニョゴニョ・・なんて話も実際聞きました)
どちらにしても、試験通す技能は実際の能力とは無縁です。学生時代、勉強しないで済んでいる訳ですから、試験に出ない事に関しては一切知りませんし、試験に出る事でもそれらが有機的に本人の素質として結びついているとは言い切れないでしょう。
この事は特に理数科学技術を扱う人間としては脅威な事です。いかに統合的な視野を有するかが私たちに取って欠かせない資質だからです。また、教員養成学部が文系の学部として認識されているのも困った話です。大概、文系の人に理数の話をすると理解されないどころか、聞き入れず、拒否感をあらわにします。また、これが認められてしまっているという風潮も有ります。「私、文系だから判らない」っていう奴ですね。逆の話、聞いた事有りますか? 「私、理系だから判らない」 言いませんね。プライドにかけてもカテゴリを判らない事の理由に使いません。「その件は勉強していないから詳しくないけど」とは言いますけどね。文系と言うカテゴリを免罪符にして能力として必要である素養を拒否してしまうような、またそれ以上の視野を広げる事を拒否してしまうような集団に何を期待できるというのでしょうか?
教員養成学部に対する2つの問題点を並べ立ててみましたが・・
・・さて、小学校養成過程は教育学部での学部生の引き受けが必要でしょう。これは授業を教科担任が原則全て引受けるという事情によるものです。しかしながら、特に理数の分野で指導力不足が顕著にあらわれ、理数離れの原因になっている事が指摘されています。そこで、小学校にも教科選任という考え方が導入され、広く実施されるようになってきました・・が、小学校の先生であることには変わりなく、理数の技能に長けている訳では有りません。
原因は先ほども挙げた、教員養成系学部が、それぞれの教科に対する技能を軽んじているカリキュラムを組んでいる事と、文系の学部として認識されている事にあります。ここの問題を解決しないことには、多くを望む事はできないでしょう。
勿論、教える技術というのはとても大事です。しかし、これは教育分野に限った話ではありません。どこでもそうですが、就職し、配属先の上司や先輩に仕事の事をいろいろ教わった事でしょう。また、自分が仕事を教える立場にもある人も多いでしょう。教えるという技術の本質は実は非常に身近な技術であり、学校や教科に限定された話ではないのです。しかしながら、教育現場では、教える技術はその本質を忘れ、教科という枠に縛られて身動きが取れなくなりました。、教科が違うから・・という理由でその本質を統合的に身に付けようという人は稀です。(私に言わせれば他の教科の授業にこそ自分の授業に取り込める何かが眠っていると思うのですけどね)
教員養成系に望む事は、もっと統合的に、教育現場にとどまらない各分野からの実践からフィードバックされる「教え方」について研究し、還流すること。
幅広い分野に渡る知識、技能を統合した学力、能力を学生に身に付けさせる事。 強いて言えば、「どのようなクイズ番組でも優勝するような知識」と「何でも手作りするような器用さ」に「人に納得させる為のテクニック」を身に付けた人材を養成する学部になってもらいたい。
PS。あくまで之は私の私見。検証している訳でもないし、実際には私が惚れる人も多くいる。
もう一つ、ネタとしては、生粋の教員は使えない・・てネタが有るんだけど
これは後日。
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「介添え人 切腹」ぐぐって来られた方いらっしゃいまして
ちなみに本日現在、ぐぐのトップに躍り出ておりました・・
そんなもんでまきちのほざきがぐぐのトップに出るかぁ?
まぁいいや。
どこだったかな?就職活動系のBBSに教員採用と一般企業を併願する板がありまして、ぼちぼち覗いておりました。その中で、教員養成系学部以外でも教員免許が取れるのは教員余りの現在不都合であるような旨の発言が有ったのだが・・・私は教員養成系学部に学部生はいらない。 と断言したい。
断っておくが、あくまで学部生だ・・教員養成系学部は必要である。教員用政経学部に所属する学生は院生だけで十分。後は、他学部から教員免許を取得する学生向けの講義を開講すれば宜しい。(小学校養成系は別)
こう言い切る理由の一つは教育学部出身の人は使えないのが多いって事。
いや、無能な人間って意味ではない。肝心の教科に対するスキルが低すぎるのである。
これは教育学部のカリキュラムが、「どう教えるか」という内容に偏っているのが一因である。これはこれで必要なのだが、どう教えるかは、教える内容に対して必要十分な知識、技能、興味を有している事が必要だろう。だが、教育学部ではそれらは保証しない。結果、発音もままならない英語の教員、試験管一本まともに振れない理科の教員。都道府県の所在地さえままならない社会科の教員が数多く出没しているのだ。では、学部時代に叩き込まれた筈の「教え方のスキル」で優位に立っているかというと、そうでもない。私が知る限り、私が感動した授業の先生は教員養成系以外の出身である。そうまでいかなくても、実際には教員養成系以外の出身の先生は教員養成系出身と同等の仕事が出来ている。つまり、教員養成系学部の売りである所の「どう教えるか」という内容は現場ではあんまり意味を果たさない事を証明している。
売るものが無いのにセールストークだけでモノを売るのは不可能でしょう?
そういう事です。
他学部(事に理学部)で成績の悪い学生に対して「教育(学部)に行くかぁ〜〜〜?」と脅しをかける・・
私の在籍した大学もそうでしたが、話を聞くとよその学校も同じ事いわれている所は多いようでして・・ 平たくいえばそれでも(勉強しなくても)単位が取れるって事を意味していますよね・・つまり、それだけ、教科の内容に重きを置いていないということです。
実はもう一つここに教員養成系の弱点がある訳で、・・別の見方をすれば勉強しなくても卒業できる という事を示している訳です。現在、教員免許を取ったからといって、そう簡単に教員になれる訳ではなく、えらい倍率の採用試験をクリアしなくてはいけません。そういう意味では現在、学部の質とは無縁に優秀な教員が採用されていると考えたいのですが(公立の現役教員が言うのも憚られますが)実際、採用選考は公平か?と言われると疑問符を並べまくってしまう状況です。(アンオフィシャルな話ですが・一次試験はどうにもならないが二次試験ゴニョゴニョ・・なんて話も実際聞きました)
どちらにしても、試験通す技能は実際の能力とは無縁です。学生時代、勉強しないで済んでいる訳ですから、試験に出ない事に関しては一切知りませんし、試験に出る事でもそれらが有機的に本人の素質として結びついているとは言い切れないでしょう。
この事は特に理数科学技術を扱う人間としては脅威な事です。いかに統合的な視野を有するかが私たちに取って欠かせない資質だからです。また、教員養成学部が文系の学部として認識されているのも困った話です。大概、文系の人に理数の話をすると理解されないどころか、聞き入れず、拒否感をあらわにします。また、これが認められてしまっているという風潮も有ります。「私、文系だから判らない」っていう奴ですね。逆の話、聞いた事有りますか? 「私、理系だから判らない」 言いませんね。プライドにかけてもカテゴリを判らない事の理由に使いません。「その件は勉強していないから詳しくないけど」とは言いますけどね。文系と言うカテゴリを免罪符にして能力として必要である素養を拒否してしまうような、またそれ以上の視野を広げる事を拒否してしまうような集団に何を期待できるというのでしょうか?
教員養成学部に対する2つの問題点を並べ立ててみましたが・・
・・さて、小学校養成過程は教育学部での学部生の引き受けが必要でしょう。これは授業を教科担任が原則全て引受けるという事情によるものです。しかしながら、特に理数の分野で指導力不足が顕著にあらわれ、理数離れの原因になっている事が指摘されています。そこで、小学校にも教科選任という考え方が導入され、広く実施されるようになってきました・・が、小学校の先生であることには変わりなく、理数の技能に長けている訳では有りません。
原因は先ほども挙げた、教員養成系学部が、それぞれの教科に対する技能を軽んじているカリキュラムを組んでいる事と、文系の学部として認識されている事にあります。ここの問題を解決しないことには、多くを望む事はできないでしょう。
勿論、教える技術というのはとても大事です。しかし、これは教育分野に限った話ではありません。どこでもそうですが、就職し、配属先の上司や先輩に仕事の事をいろいろ教わった事でしょう。また、自分が仕事を教える立場にもある人も多いでしょう。教えるという技術の本質は実は非常に身近な技術であり、学校や教科に限定された話ではないのです。しかしながら、教育現場では、教える技術はその本質を忘れ、教科という枠に縛られて身動きが取れなくなりました。、教科が違うから・・という理由でその本質を統合的に身に付けようという人は稀です。(私に言わせれば他の教科の授業にこそ自分の授業に取り込める何かが眠っていると思うのですけどね)
教員養成系に望む事は、もっと統合的に、教育現場にとどまらない各分野からの実践からフィードバックされる「教え方」について研究し、還流すること。
幅広い分野に渡る知識、技能を統合した学力、能力を学生に身に付けさせる事。 強いて言えば、「どのようなクイズ番組でも優勝するような知識」と「何でも手作りするような器用さ」に「人に納得させる為のテクニック」を身に付けた人材を養成する学部になってもらいたい。
PS。あくまで之は私の私見。検証している訳でもないし、実際には私が惚れる人も多くいる。
もう一つ、ネタとしては、生粋の教員は使えない・・てネタが有るんだけど
これは後日。
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